東京高等裁判所 昭和49年(う)2062号 判決 1976年3月25日
主文
1 原判決を破棄する。
2 被告人を禁錮二月に処する。
3 この裁判の確定した日から一年間右刑の執行を猶予する。
4 原審および当審における各訴訟費用は、それぞれその二分の一を被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、検察官の差し出した控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人小原美直、同石井芳光が連名で差し出した答弁書記載のとおりであるから、これを引用する。
所論は要するに、原判決が、被告人に結果発生について予見可能性があつたとは認められないとしたのは重大な事実誤認であつて、本件においては、被告人は業務上過失致死の罪責を免れないと主張するものである。
本件は、高等学校のラグビー部の一行が、長野県下に赴いて夏期合宿訓練を実施していた際に、一年生の部員一人が日射病で死亡するに至つたことにつき、その高校の教諭で、当該ラグビー部の顧問としてこれを引率し全般的な指導監督に当たつていた被告人が、業務上過失致死の罪責を問われている事案であるところ、ラグビーは、本来継続的な全力疾走や、肉体同士の激しいぶつかり合いを伴う極めて疲労度の高いスポーツであつて、対外試合を目的としこれに備えるためには、厳しい訓練によつて、そのような身体の酷使に堪え抜くだけの体力と精神力を養うことが不可欠なのであるから、自発的な意思でクラブ活動としてのラグビー部に入り、合宿にも参加した生徒に対し、いわば体力の限界にいどむような厳しい訓練を課することも、指導者として当然許されるのであつて、その過程においてたまたま不幸な事故が発生したからといつて、その結果からさかのぼつて引率教師に刑事上の責任を負わせることにはもとより十分に慎重であるべきで、いやしくも教師に結果責任的な過重な負担を負わせることになつてはならないし、仮にその教師に何らかの注意義務違反が認められる場合でも、その責任をあげてその教師のみのものとするのは相当でない。
しかしながら、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、本件の具体的事実関係のもとにおいては、結論として、被告人は業務上過失致死罪の責任を免れないものと考える。
すなわち、本件の合宿訓練を実施するに至つた経緯、グランドの環境および当時の気象条件、練習の内容およびいわゆるO・Bの指導方法、故障者の相次いだ状況およびこれに対してとられた処置、部員の合宿での生活および体調、七月二三日に被害者島貫一郎がグランドで倒れてから死亡するまでの経過、被告人の経歴、職務内容および本件合宿期間中の諸行動等については、ほぼ原判決が認定するとおりの事実が認められるが、本件の事実関係の中で、被告人の過失の有無と関連して特に着目すべき事項としては、
1 ラグビーは、一般に五月から八月までがシーズンオフとされ、選手の健康保持や練習効果の観点から、夏の合宿訓練には涼しい高原地帯などが選ばれるとか、日中炎天下での長時間にわたる練習は避けるという配慮のなされることが多いところ、本件の練習は、長野県の山間部とはいえ地形的に暑さを感じやすいグランドにおいて、しかも島貫が死亡した七月二三日までの三日間、連日晴天で風もあまり無く、午前中から三〇度を超えるような炎暑のもとで、帽子も着けず、比較的長時間にわたつて行われたこと、
2 練習での技術的な指導は、ほとんどO・Bの大学生や上級生部員に任されていたが、O・Bらは、そのリーダー格の木村民郎の極めて厳しい指導方針に従い、部員の中には、島貫をはじめとしてラグビーを始めてからまだ日が浅く、十分な体力を伴つていない一年生部員も数名含まれているのに、各自の練習実績や体力差を顧慮しないで、練習時間中は休憩らしい休憩もとらせず、疲労で倒れて一時意識を失う者があつても、「気つけ」と称する行為をして練習を続行させるなど、激しい練習を強行したのであつて、その情景は、たまたま隣のコートでラグビーの練習をしていた日本歯科大のグループ(同好会)から見ても、当時の暑さを考えればすでに体力の限界を超えているように思われ、特に島貫が死んだ当日などは、むしろ凄惨ともいえる異様な雰囲気を感じさせるほどのものであつたこと、
3 右の結果、グランドでは初日からその症状は区々ではあるが故障者が続出し、また宿舎に帰つてからも、日を追つて全体に疲れが目立つようになり、食欲が減退したり、身体の不調を訴えるものが少なくなかつたが、被告人は、もとよりその状況を認識しており、島貫本人についても、二度にわたり被告人の許へ胃腸薬ををもらいに来たことや、事故の前日頃からかなり食欲が衰えていることが判つていたこと、
4 七月二三日午前中、被告人やO・Bらが、前日までの練習振りから部員の気持が弛緩しているものと考えて、練習の中では最も厳しいとされる四面ダッシュの練習を行わせていたところ、島貫が、グランド上に倒れ意識もうろうの状態に陥つたため、木村に気つけされたあとグランド脇の休憩小屋に運ばれて寝かされたが、被告人は、同人をしばらく休ませたあと、同人が大丈夫と答えたので、再び練習に参加するように促した。そこで同人は、これに応じ、立ち上がつた直後少しふらついたもののとにかくグランドに赴いたが、同人だけが目立つて動きが鈍いという理由でO・Bの一人からいわゆるマンツーマン方式でヘッドダッシュの特訓を受け、ついでフォローアップの練習に移つたところ、再び倒れるに至つたこと、
5 そのため全体の練習が一旦打ち切られ、木村が皆を小屋の前に並べていわゆる説教を開始したが、島貫は、その頃小屋に運ばれ寝ていたところ、被告人から「立てるなら立つてみろ」といつて右の列に加わるように促され、腕を地面について立ち上がろうとした瞬間、左肩から崩れるように倒れてコンクリートの角に頭部を打ち、そのあと、仲間らに身体を支えられるなどしてどうにか右の列に並んだものの、その支えの手を離すとへなへなと倒れてしまう始末であつたこと、
6 被告人は、このような様子を見て、ただごとでないという気はしたものの、単に疲労がこうじたものとしか考えず、水道の水で頭を冷やしてやるとか、しばらくその場に寝かせて休ませるといつた程度のことをしただけで、あとは、生徒二人に附添を命じたうえ、歩いて宿舎に帰らせようとしたが、島貫は、二人の生徒の肩にもたれかかつて炎天下を約九〇〇メートル歩いたすえ、結局意識を失つて倒れてしまつたこと、
7 被告人は、昭和四三年からラグビー部の顧問をしているとはいえ自身ではラグビーについてあまり経験がなく、しかもその年は古くからの顧問である鎌田教諭が病気のため、単独で引率責任者の役を引き受けていたもので、十分な引き継ぎを受けていなかつたとしても、体育以外の教師が顧問を勤める場合(鎌田教諭も英語の教師であつた)と異なり、日本体育大学において体育学を専攻し、一応ラグビーに関する単位も取得しており、しかも、高校保健体育二級および中学校保健体育一級の教員免許を有し、昭和三九年以来当該高校において保健体育の教科を担当してきたのであつて、スポーツにおける健康管理については専門的な知識、経験を有するとみられるものであること
などを指摘することができるのである。
さて、以上の諸事実に徴して考察すれば、公訴事実のように、島貫が第一回目に倒れた時点において、被告人が格別の措置をとることなく、島貫に対し再度練習に参加するように促したことが、直ちに被告人の注意義務違反になると断定するのには、なお多少疑問の余地を残すものといわざるをえないのであるが、おそくとも、島貫が第二回目に倒れた段階では、その頃の同人の状況は、はつきり異常な様相を呈していたものとみられるのであつて、かかる場合、被告人の立場にある者としては、それまでの練習の経過、気象条件、本人の体調、練習実績特に一年生であることなどをも考え、このような経過、状況で二回も倒れた島貫をそのまま放置するとどのような不測の結果が発生するかも知れないと危惧し、直ちに医師の診察、治療を受けさせるための適切な措置をとるのが普通であつたといわなければならない。
そして、野田金次郎ら作成の鑑定書や荻原洋三の検察官に対する供述調書によれば、右の段階で早急に適切な治療がなされたならば、島貫の生命が助かる可能性も実質的に軽視できない程度残つていたものと認められるのである。
そうであるのに、被告人は、前記のように、横たわつている島貫をあえて他の者たちが並んでいる列に加わらせようとし、結局はまた倒れてしまつた島貫の頭を水道の水で冷やしてやつたり、しばらく寝かせたりしたあと、生徒二人を附添わせて宿舎まで歩いて帰らせようとしたものであつて、これは島貫の生命に危険が迫つていることを知らない被告人の、ただ強固な精神力を養おうとする熱意から出た行動であるとしても、島貫が練習中二回目に倒れた段階までくれば被告人の立場にある者に対して当然要求される用心深さを欠いた、明らかに無思慮、無神経に過ぎる態度、行動であつたとのそしりを免れない。
どのように厳しい訓練の中でも、指導責任者は要所において必要な用心を忘れてはならないのであつて、被告人としては、島貫が二回目に倒れたことを知つた段階において、同人の身に不測の結果が生じることを極力阻止するため、速やかに医師の手当を受けさせるための適切な措置を講ずべき業務上の注意義務があつたにもかかわらず、これを怠つたものといわなければならないのである。そして、この段階においては、被告人の立場にあれば、島貫を放置すると日射病その他なんらかの疾病によりその生命に危険が生じるおそれがあることに気付き、すぐ適切な措置をとるべきであつたと期待することに、すこしも無理があるとは思われない。また、被告人がその注意義務を怠つたために、島貫の残されていた生存の可能性が断ち切られたものであることも明らかである。
結局、被告人は島貫の死の結果につき業務上過失致死罪の責任を負うべきものである。論旨は理由がある。
よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、本件については、直ちに判決をすることができるものと認められるので、同法四〇〇条但書により当裁判所において次のとおり判決する。
(罪となる事実)
被告人は、私立錦城高等学校教諭として、同校において保健体育を担任するかたわら、同校ラグビー部顧問をつとめ、その合宿練習に同行するような場合には、その業務として、総括的な指導監督に当たるとともに、常に部員の健康保持に留意すべき立場にあつたものであるが、右ラグビー部の部員一五名および同校O・B五名が、被告人の引率のもとに、昭和四五年七月二〇日から五泊六日の予定で長野県飯山市大字常郷一八二七番地所在の戸狩総合グランドにおいて合宿練習を実施した際、同月二一日および二二日の両日いずれも炎天下においてそれぞれ五時間(午前午後合わせて)を超える厳しい練習が強行されたため全体として疲労の色が濃く、食欲の衰えている者も少なくなかつたのに、さらに翌二三日午前九時頃から同じような炎天下で一段と厳しい練習が続けられていたところ、一年生部員の島貫一郎(一五年)が、日射病に罹患して突如グランド上に倒れ意識もうろう状態に陥つて休憩小屋に運び込まれ、二〇分位休んだあと被告人に促されて一旦グランドに戻りまた練習に参加したものの、同日午前一一時頃に至つて再び倒れ、しかも自分で起き上がることも困難なほどで、その様子にはかなり異常なものがみられたのであるから、かかる場合引率、指導教師としては、島貫の生命身体に不測の事態が発生することを防止するため、速やかに同人に医師の診察、治療を受けさせるための適切な措置を講ずべき業務上の注意義務があるのに、同人が日射病により危険な状態にあることまで考え及ばず、不注意にも、単に疲労がこうじたのにすぎないものと軽信したうえ、無理に起き上がらせて仲間たちが並んでいる列に加わらせようとしたり、また崩れるように倒れてしまつた同人をしばらくその場に寝かせておいたあと、仲間の肩を借りて帰るよう指示して炎天下を歩いて宿舎に向かわせるなど、右の注意義務を怠つた過失により、その後同人がグランドから九〇〇メートル程歩いたところで全身けいれんを起こし意識がなくなつたのを知り、急いで飯山市内の飯山赤十字病院に運んだときにはすでに手遅れで、同日午後五時一五分頃、同病院において、同人を日射病により死亡するに至らせたものである。
(証拠)<略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二一一条前段に該当するので、禁錮刑を選択のうえ、その所定刑期の範囲内で主文2の刑を量定し、主文3につき刑法二五条一項、主文4につき刑訴法一八一条一項本文を適用する。
(戸田弘 本郷元)(大澤博は転補につき署名押印することができない)